東京で沖縄とふれあうイベント

沖縄ご当地ソングといえば、この人。シューベルトまつださんに突撃インタビュー!

沖縄ご当地ソングを歌うシューベルトまつだ

はいたい!うちなーたいむ研究所ののーりーです。沖縄好きな皆さんであれば、シューベルトまつださんをご存知でしょうか。

 シューベルトまつださんといえば、「さーたーあんだぎーのうた」「ミルクぜんざいのうた」「シークワーサーのうた」「沖縄あるある」など、今でこそ、沖縄のご当地ソングを歌うシンガーソングライターとしてご活躍されていますが、19の春にギター片手にミュージシャンを目指して上京し、沖縄出身であることを公表せずに役者や歌のおにいさんとしても活動していたんです。

なんと、三線を手にしたのは36歳の時というから驚きですね。

 今回は、沖縄県名護市出身のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティーやタレントとしても活躍されているシューベルトまつださんの魅力とともに、上京してから現在までの道のりを、まつださんのCDやチラシのデザインも担当しているあーゆーと一緒に、じっくりとインタビューしてきました。

「長渕剛」に憧れてギターを片手に上京した19の

シューベルトまつだ あーゆー のーりー

のーりー:シューベルトまつださん、普段は舞台でご活躍する姿を眺めるばかりですが、今日は、インタビューさせていただけて光栄です。また、今日はライブ前のお忙しい時間にお時間をいただきありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。

まつだ:はい。よろしくお願いします。

のーりー:シューベルトまつださんといえば、沖縄のご当地ソングやグルメソングでおなじみですが、きっかけは何だったのですか。

まつだ:僕は、沖縄県北部の名護市に生まれて18歳の時まで沖縄にいました。歌のとおり19の春に沖縄を飛び出してきた。当時は三線ではなくて、「長渕剛」に感銘を受けてギターを弾いていてミュージシャンを目指して東京にきました。

のーりー:初めから三線ということではなかったのですね。

まつだ:そうなんです。当時は、音楽をやりたいけれど音楽の道が見つからず、とりあえず劇団のオーディションを受けて劇団に所属していました。

のーりー:ミュージシャンではなく、役者からのスタートだったのですね。

アニメソングの帝王水木一郎さん・師匠ベートーベン鈴木さんとの出会い 20代前半

まつだ:はい、役者にも興味があったんです。その時に舞い込んできたのが、子供番組のお仕事でした。歌のお兄さん「まっちゃん」として子供を相手に歌を歌っていましたね。

それをきっかけに、アニメソング界の帝王の水木一郎さんと知り合いました。自分が小さい頃から、マジンガーZや仮面ライダーのテーマ曲などを歌っていた憧れの人です。そこで、水木さんのバックコーラスから始めて、君はギターも弾けるからとライブでギターの演奏もさせてもらいました。それが20代前半の頃です。

のーりー:ようやくミュージシャンとしての活動が始まったのですね。

まつだ:はい、さらに水木さんの紹介でのちに師匠となるコミックバンドのバラクーダのベートーベン鈴木さんと出会ったんです。バラクーダといえば、有名な「日本全国酒飲み音頭」ってあるでしょう。

「1月は正月で酒が飲めるぞ!酒が飲める飲めるぞ〜♪」っていうやつあれね。水木さんの友人として忘年会に来てくれたんです。

のーりー:流行りましたね。子供の頃意味もわからず歌っていましたね(笑)。

まつだ:そうそう、テレビ番組のトップ10とかにバラクーダが出ていて、「日本全国酒飲み音頭」とか「演歌・血液ガッタガタ」とか歌っていたわけ。

実はバラクーダには思い出があるんです。自分が高校生の時にバイトしていた喫茶店で「チャカ・ポコ・チャ」っていう歌が流れてきたんです。「あなたの胸にはボインがない〜♪ウエストヒップの境目ない〜♪」っていう、ちょっと女の人を茶化した歌。酒飲み音頭の次にヒットした曲が有線で流れていて、店長にこれいいですねって言ったら、「チャカ・ポコ・チャ」だよと教えてくれた。

早速、近所のレコード屋に買いに行って、あぁこの人たちだったのかぁと思って、自主制作した映画の中であるシーンに「チャカ・ポコ・チャ」を使ったんです。それを本人に売り込んだ(笑)。

のーりー:憧れの人を目の前にして、猛アピールですね!

ライブハウスで創作活動を始めた20代前半

まつだ:20代前半のガキが、「今は子供番組で歌っているんですけど、実はオリジナル曲をいっぱい持っているんです」って必死に売り込んだんです。

学生時代からずっとギターで曲を作っていたから、それをPRをしたの。

のーりー:なるほど。そのときはどんな曲を作っていらしたのですか?

まつだ:当時はね、結構もうね、ラブソング(笑)。

のーりー:ちょっと聞いてみたいです、それも(笑)。

まつだ:もう恥ずかしくて聞けないんですけど。君がなんとか、とかそういうね。あとはコミックソングも作っていた。バラクーダはコミックバンドだったから、自分もコミックソングで「けのけのロック」っていうのがあるんですって言ったら、食いついてくれて名刺をくれて。

「事務所には入ってないです」というと「面白そうだから今度聞かせてくれ。事務所に遊びに来い」って言ってくれた。普通は社交辞令で終わるんだけど、真に受けてすぐにデモテープを持って電話して「先週お会いしたまつだですけど、例のデモテープ聞いてください」って、アポを取って、伊勢丹でお菓子を買ってさ、笹塚にあった事務所に行ったわけ。

のーりー:興奮が伝わってきますね。その当時はカセットテープですか?

まつだ:そうそう、当時はね、カセットテープに録音してました。

当時、この「けのけのロック」は、僕の友達の間では本当に大ヒットしたの。一般には聞かせていなかったんだけど、飲み会で歌うと友達はねもうバカ受けで、これはもういけるぞって思って。

それで、師匠に聞いてもらったんだけど、向こうもバツが悪くなちゃってね。もうねプロから見たらやっぱりレベルが低すぎるわけ。

のーりー:最初からは上手くはいかなかったわけですね。

まつだ:そう。でも、せっかく来てくれたから、お前ライブとかやってるのかって言ってくれて、「いいえ。やったことないです」って言ったら、四ツ谷にあるライブハウスコタンを紹介してくれた。知り合いの紹介ということでオーディションなしでやらせてもらえて。そこで、コタンがきっかけで、すぐに創作活動と弾き語りを始めさせてもらった。四ツ谷のコタンでの活動は、2年間くらい続けました。

初の楽曲提供!営業活動に明け暮れる  20代後半

電話のうたでデビューしたシューベルトまつだ

のーりー:いよいよ創作活動の始まりですね。どんな曲を演奏されていたのですか。

まつだ:その時に出来た曲で「電話のうた」っていうのがあるんですけど、たまたま師匠が年末に出すレコードのカップリングの曲を探していて、ソニーレコードの人が聞いて「この歌いいですね」となって、決まっちゃった。いきなり作詞作曲でデビューすることになったの。

のーりー:えっと、それって、楽曲提供ってやつですよね。

まつだ:そう、楽曲提供!そうなのいきなり先生になっちゃったの。「電話のうた 歌:ベートベン鈴木、作詞・作曲:松田清彦」で、いきなり本名でデビュー!!

それで、日本テレコムが協賛についてくれて、有線放送とかも一緒に回って、大ヒットしたら都内にマンション買えるよ、とまで言われてたんだけど…。少し期待していたんだけど(笑)、時代が一気に携帯電話の時代にかわっちゃった。歌が古臭くなっちゃったの。

のーりー:古臭いということは、黒電話とか固定電話ですか?

まつだ:もうね、色々な固定電話が出てくるの。黒電話とか、公衆電話とか。お色気たっぷりのピンク電話とか、ちょっと病気がちな青電話とか。ちょっと面白おかしく歌にして。

のーりー:聞いてみたいです!それ(笑)。

まつだ:Youtubeにあります!(とってもヤングなまつださんを思わずスクショしたのが上の写真です^^)

それからコタンで活動を続けて、それがデビューのきっかけになったのですけど。その時に師匠に、そろそろ名前をあげなきゃなって言われて、俺がベートーベン鈴木だから、お前はシューベルトまつだだって(笑)。

その時、(お話を聞いている沖縄軒の)隣にある浅草演芸場っていうところに出演していたんですけど、だんだんお笑いソングとかをやるようになっていった。嘉門達夫さんみたいなコミックソングをやるようになった。

あーゆー:まつださんの、長渕剛の真似で島人の宝とかすごく面白い。

のーりー:え、想像できない。聞いてみたい!

まつだ:期待しすぎると面白くないから。ハードル上げないで(笑)。

でもね、やってるうちにその頃、だんだん自分で壁を感じてきていた。

のーりー:当時おいくつくらいですか。

まつだ:27、8歳くらい。この頃は、六本木のショーパブでものまねとかをやっいてた。長渕、チャゲアス、桑田佳祐とかのものまねをしてた。

それをみた人から、営業の引き合いがすごく増えて、結構地方なんかでちやほやされて、営業活動がおいしくて。そしたら創作活動をしなくなっちゃった。

のーりー:お金は入ってくるし。忙しいしということですね。

まつだ:ものまねとか替え歌とか、人の歌ばっかり歌っていた。でも、仕事は増えた。

自分ではものまねもやるけど、コミックシンガーという意識だったの。で、とある地方のお祭りのイベントに呼ばれた時に、あっちこっちにポスターが貼ってあって「ものまねシューベルトまつだショー」って。チラシも、ものまね。

主催者からものまねの人って思われてた。

とりでステージに出演することになっていて、ものまねもやるけど、ネタはそんなに多くないから、30分も持たないっていったけど、「困る。ものまねで売ってるのに困る」って。ネタの中にものまねはあるけど、ものまねばっかりじゃないのに。

のーりー:あー、もうみんなの期待ハードルが上がってますね。

まつだ:お祭りにたくさん人が来ていて。それでいきなり、チューブから始まってとなるんだけど、じーちゃんばーちゃんがしらーっとして、何やっても受けない。田村正和でクスッくらい。これが全然。クスも何もなくて、30分の持ち場でも3時間くらいに感じたりして。

あーゆー:もうお腹痛くなちゃうみたいなやつですね。

まつだ:それが2、3回続いて。熱海温泉とかホテルの演芸場とかでも誰も聞いてない。ワイワイガヤガヤ酒飲んで名刺交換して、コンパニオン横につけて。もう誰も全然聞いてない。

こっちも持ち時間こなして、部屋入って温泉入ってギャラもらって帰ればいいやっていう感じ。

そしたら、エレベーターにどこどこ人が乗ってきて、よくみなくてもさっきのお客さん。やべーっと思って、ギター持ったまま端っこでバレないようにしてた。

そしたら、俺の悪口が始まって。「さっきの何だっけ、シューベルトなんとか?クソつまんない」とか僕に気づかずに悪口が始まって。

のーりー:え、それは心が折れる。ちょっと厳しい。

まつだ:そうそう。エレベーターを先に降りてくれないかなと思ったら、自分の方が先で、その時、誰かが気づいて「あれ?さっきの??」って「あ、先ほどはどうも」みたくなって…。

もう心はズタズタボロボロ。

当時、モノマネでちょっと調子に乗っていたかなって。地方の営業が入っていたから。簡単な営業中心で、ライブとかもやらずに。

のーりー:でも営業の仕事は入ってくる。

まつだ:そう仕事ばっかり。自分で主催したライブもやらないし。創作活動もやらなくてその時に、鼻をポキンとおられた感じ。その時にコージー冨田さんとか原口あきまささんとかが次々と出てきて、ものまねがすごい時代になってきた。俺は絶対この人たちにはかなわないなって思って…。

沖縄を出て18年目に迎えた壁。みんなに教えてもらったこと 36歳

実は三線が全く弾けなかったシューベルトまつだ

のーりー:営業活動に明け暮れて、あれれ?自分は何をしているんだと思ってしまった。

それが、大きな壁だったんですね。

まつだ:そう、本当に。でもその時に、周りのみんながヒントをくれた。

「あれ、沖縄の人だよね?三線弾かないの?誰でも弾けるんでしょ?」って。

いやいやいや、全く興味ないし。今までずっと沖縄出身って肩書きをつけずにきて、むしろ故郷を捨てた人間。こんなんなくそ田舎に誰が住むか。早く東京に行きたいみたいな。

のーりー:まつださん、確かに沖縄の方としては薄めのお顔。ギリギリうちなーんちゅじゃないっていける(笑)。

まつだ:もんもんとして。気付いた。それが、36歳の頃。

のーりー:そうすると結構長い間、営業活動を続けられておられたのですね。

まつだ:そう、沖縄で18年、出てきてからもちょうど18年。この活動をずっとやって、コントもやって、役者もやって、歌のおにいさんもやって、いろいろやりすぎて自分が何だかわからなくなった。遊びでやっていたものまねも鼻をポキっとおられて、もう俺には何もないなっていう時に。

「三線やれば」って、声がして。普通に言われて。すごく色々な人に言われて。

自分では考えたこともなかったんだけれども。「出身沖縄なのに三線やらないの」って。

それがきっかけで、俺も変わらなきゃなって思った。

のーりー:確かに。沖縄の人は誰でも三線が弾けるって、初めは思っていました(笑)

あーゆー:それは大間違いよぉ!!(爆笑)

まつだ:そうなの(笑)。それで、三線やってみようとなった。でも、20年かかるって言われて。

あーゆー:そうちゃんと民謡をやるとなると、20年かかると言われたのですね。

空から降ってきた「さーたーあんだぎーのうた」と手焼きCD

さーたーあんだぎーの日制定10周年記念イベント

まつだ:それは時間がないなと思って、もう36歳だし…。

2年でマスターして仕事になるようにしよう、人と違うことをやろうと思った(笑)。

それで、沖縄の物産展とかを回るようになりました。

沖縄で一番有名な食べ物はなんだろう?って思っていた時に、沖縄そばとゴーヤーしか浮かばなかったんだけど、たまたま、天から降ってきた。

「さーたーあんだぎーのうた」が降ってきて、これだって。

たまたま作って、東京の沖縄県人会の集まりで歌ったらすごく喜ばれた。

のーりー:あの繰り返しがいいんですよね!

まつだ:それで、CDないの?から始まって。当時まだCDなんてなかったから、とりあえず、100枚のCDRを焼いて県人会のイベントに持って行ったら、全部完売。1000円で即日完売!それで味をしめて、毎回ライブのたびにCDRに20枚とか焼いて行ったら、トータルで1000枚売れちゃった。

のーりー:ちょっと嬉しいですね。そのCDは全部手焼きですか?

まつだ:そうそう。手焼き。中には入っていないのもある。音が(笑)。

あーゆー・のーりー:え、録音に失敗しちゃってる!!?

まつだ:そうそう。たまーにクレームが来る。一応パッケージに書いておいて、音が入っていなかったら連絡くださいって。連絡が来ると、ちゃんとしたものを送り直す(笑)。

全部自分で、大変なの。コンビニでミノルタのコピー機で出力してA3の紙に出してラベルもジャケットの表裏、歌詞カードも自分でねカッターで切って作る。全部自分で笑。

あーゆー:手作り感たっぷりですね(笑)。まつださんの自作動画とかもクオリティ高すぎますもの。

まつだ:そうこうしているうちに、沖縄の出版会社からCDの製作をしてくれるっていういい話が舞い込んで来て。うちで出版しませんかっていう話が来た。音源は一緒なんだけど、沖縄で作ってもらうことになった。それで、さーたーあんだぎーのうたは自分で作らなくて良くなった。

のーりー:もう自分でラベルを切らなくて良くなったんですね。

まつだ:そうラベル切らなくて良くなった笑。僕が注文して販売する形になった。

あーゆー:まつださんは、サーターアンダギーの日もご自身で登録したんですよね。

まつだ:そうそう、相当こだわって。自分で記念日まで作っちゃった。3月14日。日本記念日協会に登録したの。

のーりー:えー知りませんでした!ちょうどホワイトデーの日ですね。

まつだ:そう、ホワイトデーにはサーターアンダギーを送りましょう!ということで、この日にCDもリリースして。記念日として登録して今年でもう11周年です。

あーゆー:10年目にはイベントをやったんですよね。

まつだ:そうそう、1回もやってなかったの。3年目に本当はイベントをやろうと思って会場を押さえたら、東日本大震災があって。流れてしまった。3月14日なので。

それでなかなか記念日を祝えなかったんだけど、10年目に初めてイベントができた。

世界に羽ばたく!シューベルトまつだの沖縄ご当地ソング

ブラジルでの橋幸夫のチャリティーコンサートに出演したシューベルトまつだ

のーりー:沖縄のご当地ソングは、全部で何曲ぐらいあるんですか?

まつだ:数えたこともないです。たくさんある笑。

あーゆー:ミルクぜんざいのうたとか(笑)。

のーりー:ミルクぜんざいのうた(笑)。昔、ひがし食堂で沖縄そばを食べていたら、ミルクぜんざいの曲がずーっと流れていて。いつもは食後にスイーツなんて食べないんですけど、一緒にいたみんなで、ミルクぜんざいも頼んどくかみたいになって(笑)。頼みましたよ。すっかり洗脳されました(笑)。

まつだ:あ、聞きました?(笑)そう周りに飲食関係の人が多くて、簡単に言ってくる。

もやしそばの歌作ってとか、マンゴーの歌作ってとか、パイナップルの歌作ってとか。すごく気軽に言うんだけど。

いやいいやいや、そんなに簡単にはできないわけですよ(笑)。

のーりー:うんうん。

まつだ:シークワーサーの時も、まだないから作るかって。でも、そんな簡単にできないよって。できたら連絡するからって言っていたら、言ったその日の夜に、すぐ降ってきた。

「シーシーシー、シークワーサー♪」って(笑­)。

あーゆー:シークワーサーの歌は踊りも可愛いですよね。まつださんの踊りながら歌うというところもすごい。エンターテイナーだなって。

子供たちと歌い踊る シューベルトまつだ

のーりー:本当に多彩ですよね。

でも、その頑張った日々と壁にぶち当たった時期があったことで、今のまつださんがあるということでしょうか?

まつだ:そう、逆にね。もっと早く沖縄ソングに行けばよかったかというと、やっぱり過去があるから今があると思っている。子供番組とかやっていたから、初めはすごくやだったの。なぜ東京に来てまで子供相手に、何をやってるんだろうとか。

のーりー:でも、今では子供達と一緒に歌ったり、子供にも大人気ですよね。

まつだ:逆に、過去のことが今は生きてきて、子供相手に一緒に歌ったり、もちろんお年寄りとかも老人ホームとかも回っていたので、それが生かせていると思う。

今でもそう。30代後半の頃のショーの活動があって、昨年は、橋幸夫さんの前歌を務め、いろんな大物演歌歌手の皆さんと、歌う司会者として、日本全国各地、呼ばれれば海外まで 行きます!(笑)

あーゆー:ブラジルでライブもしたそうですね。

のーりー:え、ブラジルで、シークワーサーの歌ですか。

まつだ:そうブラジルでも、シークワーサーとかサーターアンダギーを広めています。

前座として歌で盛り上げたり、衣装替えの時や最後のまとめのMCをやったりして。

ブラジルの他にも台湾とかで講演しました。

あーゆー:海外に住む沖縄の移民の方も多いですものね。

のーりー:WUB(ワールドウチナンチュービジネスアソシエーション=海外に住む沖縄ルーツの方のつながり)が有名ですね。

まつだ:そうそう、この前もたまたまSNSでサーターアンダギーの唄のライブをアップしたら、いつもよりも急にものすごくシェアされた時があって、なんだろうと思ったら南米方面とかだったこともある。

のーりー:どこか地球の裏側の方でバズったんですね(笑)。

まつだ:本当に、海外でもこんなにシェアされているんだって、びっくりしました。

沖縄居酒屋ライブ&沖縄ご当地ソングの魅力に迫る 現在

オリオンビールの帽子をかぶるシューベルトまつだ

あーゆー:沖縄のご当地フードソングといえば、まつださんですよね。

まつだ:そうそう、やりやすいの。自分の役割として。

自分は民謡歌手でもないし。沖縄のミュージシャンも多いので、人と違うことを目指した。

それで10年やってきて、昔のメンバーはほとんど辞めてしまった。

若い子がどんどん出てきて。これからも若い子に負けないようにと(笑)。

おっさん頑張ろうと。

あーゆー:でも、「100万粒の涙」のような慰霊の日に絡めたシリアスな曲もありますよね。

   ご年配の方にも好評のようですね。沖縄の人のために歌っていると感じます。

まつだ:そうそう。少し重い歌なんですけれど。

実は、マジソングの方が多いんですよ。

でも、真面目な曲を普通に30分やるよりも。ふざけて楽しい曲をたくさんやって、1曲は俺の聞いて欲しい曲も聞いてくれってする方がいいかなと。

この沖縄軒での居酒屋ライブもお店の主催なので、お客さんからはチャージをいただいていない。だから、お店のために盛り上げたいというのもある。

のーりー:それはお客さんとしても楽しいですよね。楽しく飲んでいて、曲も面白いからつい聞いてしまうというような。

まつだ:そう。だって自分のライブじゃないんだから。フリーのお客さんもいるし。

僕だって、歌の途中で帰る人がいると、心の中ではめちゃ泣いている。

初めましての人をいかに捕まえるのか、リピーターになってもらって、その人たちに発信してもらえるかというところもある。

あーゆー:沖縄のミュージシャンとか芸人の方って居酒屋でライブをやって、ファンの方とすごく距離が近いし、ファンサービスもしてくれるのがものすごくいいですよね。

ライブの後に一緒に飲めるとか、ファンとしてはその近さがすごく魅力的。それは、他県のミュージシャンにはない魅力だと思います。

まつだ:そうね、食べ物屋さんでライブっていうのは、沖縄ならではかもしれない。

他の県では考えられないことかもしれないね。

僕たちも仕事になるからありがたいと思っている。

今後の活動について

のーりー:でも、こういう情報って、初めての時は入手するのがなかなか難しいんですよね。

まつださんのイベント情報とか、このサイトにもアップしていきたいですがよろしいですか。

フェイスブックをしていない方にも広めたい。

まつだ:ぜひぜひ、よろしくお願いします!!僕のサイトからも相互に情報を共有できるといいですね。

写真もどうぞ使ってください。この写真、2年前のなんだけど、ものすごく前のですよねって言われる(笑)。そんなに太ったかな(笑)。最近ちょっとショックなの。本当に2年前なんですかとか言われて。

のーりー:すごくいい写真ですね。バンダナがいいのかな。髪が少し長いからですかね。

写真は、あーゆーが持っているものを使ってもいいですか??

まつだ:そうそう。あーゆーが持ってるやつ、どんどん使ってください。

ここ2年くらい、CDのジャケットとかチラシとか、あーゆーにデザインを作ってもらっているからね。

あーゆーデザインのCDジャケット

あーゆー:これからも作りますよ〜!では、心置きなく使わせてもらいますね。

でも、こうやってお話を聞くとすごく真面目な方なのに、フェイスブックとか面白いことばっかり書いていますよね(笑)。

まつだ: 基本楽しいのが好きなので、暗くなるのは嫌いなので。

人生楽しんだもの勝ち!一日一笑。

とりあえず1回笑っておけば、9回やなことがあっても帳消し!

のーりー:沖縄の方は本当に明るいし、楽しいのがいいですよね。

あーゆー:だっからよー。

さーたーあんだぎーのうた以外にも、シークワーサーの健康性の記事とともにまつださんのシークワーサーの歌も掲載したいと考えているので、ぜひその時もまたお願いします。

まつだ:もちろん、もちろん!シークワーサーも僕、語れますから。ぜひ!

あーゆー:ぜひまた、よろしくお願いします!

のーりー:シークワーサーの記事も楽しみです。

今日はライブ前のお忙しい時間に、本当にありがとうございました!

まつだ:ありがとうございました!!

人生は楽しんだもの勝ち!三線ライブで沖縄の空気に癒されよう

シューベルトまつださんは本当に謙虚で気さくな、普通のおじさん(失礼!)でした(笑)。

でも、ひとたび、マイクを握って三線を肩にかけると、その場に沖縄の空気感をもたらして、歌と笑いで会場全体を包み込んでひとつにしてしまうエンターテイナーに早変わり!沖縄ファンだけでなく、初めてライブを見た人も巻き込んでしまう物凄い才能の持ち主でした。

その後のライブでも、大盛り上がり!

お客さん参加型で、シークワーサーやオリオンビールの被り物で一緒に踊ってもらったり、歌の途中で店内のお客さんに乾杯の音頭を取ってもらったりと、客席が笑いに包まれて本当に楽しい時間を過ごせました。

そして、聞かせるマジソング「100万粒の涙」も本当に心に入り込んで染み入りました。

シューベルトまつださんのライブ未経験という方は、ぜひお近くの会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。ファンになること間違いなしです。

そして、中毒性がありますのでご注意を(笑)。

シューベルトまつださん、本当に貴重な時間をありがとうございました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ご感想やご意見もコメント欄でお待ちしています!!

P.S. 実は、会場のお客さん同士も本当に良い感じにつながり、話も盛り上がったついでに初対面のお客さんにこのサイトの宣伝をさせてもらいました。

すると、「ヤマトのあなたたちが、沖縄のためにこんなサイトを作ってくれるなんて嬉しい。本当にありがとうね。」と。もう本当に涙が出そうになりました。

まだ記事が少ないから、しっかり書いて増やさないとねってあーゆーと語り合った夜でした。

<シューベルトまつださんリンク集>

シューベルトまつださんのライブ情報はこちら

シューベルトまつだ公式youtubeチャンネルはこちら

・100万粒の涙