沖縄を知る

落語のようなホントのはなし!映画「サンマデモクラシー」

沖縄には「アメリカ世(ゆー)」と呼ばれていた時代がありました。
1945年の終戦時から1972年に本土復帰を果たすまでの27年、米軍統治下に置かれた世の中を表現した言葉です。
統治下ゆえに様々なことが起きた時代でもありますが、この「サンマ裁判」について詳細が語られることはありませんでした。
しかし、この裁判!アメリカ世の沖縄において、実は重要なターニングポイントでした。
本土復帰やウチナーンチュの自治権回復のムーブメントを作る一つのきっかけとなった裁判でもあるのです。

このドキュメンタリーの映像化に挑んだのが山里孫存(やまざと まごあり)監督兼プロデューサー。
今回の記事では山里監督へのインタビュー内容を、ネタバレにならないギリギリの範囲で!作品の魅力とともにお伝えしていきたいと思います!

映画について

ストーリー


1963年、祖国復帰を願う沖縄の人々が、日本の味として食べていたサンマ。
サンマには輸入関税がかけられていたが、その根拠は琉球列島米国民政府の高等弁務官布令、物品税法を定めた高等弁務官布令一七号。(1958年公布)
だが、関税がかかると指定された魚の項目に、サンマの文字はなかった
そこで「関税がかかっているのはおかしい!」と、魚卸業の女将・玉城ウシが、琉球政府を相手に徴収された税金の還付訴訟を起こした。
求めた額は、現代の貨幣換算でなんと7,000万円。
このウシおばぁが起こした “サンマ裁判” は、いつしか統治者アメリカを追い詰める、民主主義を巡る戦いとなった。(「サンマデモクラシー」HPより抜粋)

公開情報

7月17日(土) ポレポレ東中野ほか全国順次公開
7月3日(土)より沖縄・桜坂劇場にて先行公開!
全国の上映情報はコチラ

山里孫存氏プロフィール(監督/プロデューサー)

1964年、那覇市生まれ。
1989年、沖縄テレビ入社、以後、バラエティーや音楽・情報番組などの企画・演出を手がけ、数多くの番組を制作。
報道部への異動を機に「沖縄戦」に関する取材を始め、戦後60年という節目をむかえた2005年には、米軍が撮影したフィルムの検証と調査を続け「むかし むかし この島で」を制作し多くの賞を受賞。
2006年に制作したドキュメンタリー「戦争を笑え 命ぬ御祝事さびら!沖縄・伝説の芸人ブーテン」が放送文化基金賞ドキュメンタリー番組賞・企画制作賞を受賞した。
2010年にはドキュメンタリー「カントクは中学生」を手掛け「ギャラクシー賞・選奨」を受賞。
2018年、ドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄」を製作し、現在、全国で公開中の映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」でもプロデューサーを務めた。
(「サンマデモクラシー」HPより抜粋)

監督インタビュー

では、山里監督へのインタビューをどうぞご覧ください!
5つの数字をキーワードに展開していきます!

インパクト大!【3】人の登場人物

©️沖縄テレビ放送

くーみー: 昨年のテレビ版も拝見しました。
魚屋の女将・玉城ウシ(たましろ うし; 写真右)、政治家であり弁護士の下里恵良(しもざと けいりょう; 中央)、米軍がもっとも恐れた政治家・瀬長亀次郎(せなが かめじろう; 左)の3人が主な登場人物ですね。
テレビ放映後にさらに取材を深め、今回の映画制作用に撮影と編集を追加されたようですが、監督にとって特に思い出深いシーンやエピソードを教えてください。

山里監督: テレビ版の後に、玉城ウシの人物像をもっと深掘りしたいと思い、再調査することにしました。
テレビ放映後に新しい情報が寄せられ、彼女の人物像を更に際立たせることができましたが、豪快で気が強くて体が大きなおばぁっていうだけではなく、実は悲しいを思いを抱えながら亡くなった人でもあったんです。
そういうウシの、戦前戦後の生き様や背景を盛り込めたことは大きいです。

そして映画版に当たり、いちばん力を入れようと取り組んだ人は下里恵良です。
「ウシさんを食っちゃうんじゃないか!?」というくらい不思議で破天荒で魅力的な人でした。

くーみー: 最初は下里恵良さんの名前を見間違えていたのだとか?

山里監督: そうなんです。昔の新聞記事の字が潰れていて、恵良の名前を「思良」と思い込んでしまっていました。
それに気づいてテレビ版の時には滑り込みセーフで入れ込んだという感じでしたが、改めて調べ直すと「下里恵良追悼集」という資料も出てきました。
下里恵良がどれだけ色んな人々に愛されているかがわかる内容で、それらを総合すると「ラッパ伝説」と言われるくらい沢山のエピソードが出てきたんです。

くーみー: 恵良さんの若い時の再現映像も面白かったです!
身振り手振りから、豪快でよく喋る人だというキャラクターが伝わってきました。

山里監督: 沖縄でいちばんうるさい芸人・「お笑い米軍基地」のまーちゃん(小波津正光さん)に「無声映画」で恵良を演じてもらうという仕掛けにしたんですが、これが見事にハマりました。
「無声映画にしてもお前はうるさい!」とまーちゃん本人にも言ったくらいです。(笑)

とにかく、ウシという強烈なおばぁと、下里恵良という破天荒でバイタリティのある2人が出会い裁判を起こしたから(後に大きなうねりを巻き起こすような)すごいことになったということを、詰め込みたかったんです。

さすがテレビマン! 公開【1.5】ヶ月前まで撮影!!

くーみー: 公開前のギリギリまで撮影と編集をしていたと伺いました。
初披露日は5月15日(沖縄本土復帰記念日)でしたが、具体的にはどれくらい前まで取り組んでいたのでしょうか?

山里監督: 会社(沖縄テレビ放送)で稟議書が正式承認されたのが3月末で、下里恵良の再現映像を撮影したのも3月末でした!
映画業界の方ならありえないでしょうけど、僕はテレビの人なんで…(笑)

くーみー: 巻き巻きでの編集はお手のものなんですね(笑)。
最後のシーンも映画版の撮り下ろしでしたよね。

山里監督: あれは4月に撮りました!
コロナ禍で気を遣わなければならなかったですが、僕がカメラを持って(少人数で)撮影して…。
良いシーンですよね。

くーみー
くーみー
ホロリ(涙)…とくる、本当に良いシーンでした!
監督との裏話を色々と書きたいところですが、ネタバレになるのでこの辺で…
どういうシーンかは、劇場でご覧くださいね!

豪快なウシおばぁ!●●の【15】%の取扱高!

くーみー: ウシおばぁと恵良さんの出会いについて教えてください。
どんな流れで2人で裁判を起こすことになったのでしょうか?

山里監督: 当初は「課税対象の品目にサンマが入っていない」と、名指しで取り上げられていたわけではなかったんです。
「かまぼこの材料になっている魚が、課税対象としては含まれていない。布令の指定品目になっていない魚については税金を戻すべきではないか」ということが話題になりました。
ちょうど「安くて美味しい庶民の味方」であり、かつ「日本を代表する秋の味覚」であるサンマの輸入が増えていて、そのタイミングでこの話題。
(そういう状況のもと)どこかのタイミングで、サンマがわかりやすいし、メインに取り上げられるようになっていったと思われます。
「指定品目にサンマが入っていないのに、課税されているのはおかしいぞ」と…。
そんな中、魚類を本土から輸入している輸入業組合が、政府と向き合って交渉するために、弁護士でもある下里恵良を代理人として引き込んだのが最初(のきっかけ)でした。
おそらく、ウシとの出会いもその組合を通したものだったのではないかと思われます。

(一方で)ウシおばぁ。数字で見る限り、当時の沖縄全体のサンマ輸入量の15%をウシが取り扱っていたのではないかと思われます。
そんなことから、ウシは輸入業組合の中でも一目も二目も置かれているような怖いおばぁだったんだと思います(笑)。
そんなウシおばぁは課税に納得いかず、1人でも反旗を翻すようなエネルギーがあったのではないかと。
下里恵良も(彼は彼で)曲がったことが嫌いで、納得がいかないことには屈服しない人でしたから、「よし、一緒にやろう」という流れになったのではないかというのが、僕がリサーチした中での見解です。

言葉も文化も違うさぁ!【2】つの国の対立

(©︎沖縄テレビ放送)

くーみー: アメリカと沖縄では言葉も考え方もまるで違いますね。

山里監督: まさにそこです。布令として出されるものは元は英文で、沖縄県民が受け取るものはそれを日本語に訳したもので、それで判断していくわけです。
そこのニュアンスの違いというか…
「サンマが入っていないじゃないか!」という沖縄の言い分に対して、アメリカ人からすれば、「いやいや、これは例を挙げているだけであって…」という感じで、言葉や解釈の違いがすごくあった。
サンマ裁判に限らずアメリカ統治時代の沖縄では一事が万事そんな感じで、アメリカ人の感覚とウチナーンチュの感覚の違いから来る色んなすれ違いが起きていたんだろうな、と思うわけです。

戦前から今の沖縄まで!【99】分のノンストップドキュメンタリー

(©️沖縄テレビ放送)

くーみー: 最終的に現代までググーッと進み、沖縄の基地を巡る今の状況にまで踏み込んでいきました。
翁長前知事の映像も含まれていて、見方によっては「攻めた構成だなぁ」という印象もあります。その想いを聞かせてください。

山里監督: 下里恵良が生涯貫いた「保守本流」「沖縄を想う保守」が現代まで受け継がれている流れを描きたいと思いました。
「沖縄の本土復帰を待たずに沖縄から国会議員を送るべきだ」ということを琉球政府立法院で先頭に立って強く訴えていたのも下里恵良です。

沖縄は本土復帰して市制権は日本政府に移ったけれども基地は残り、基地があるがゆえの理不尽なことは相変わらず起きる。
何か起きた時に、復帰前は目の前にいる米国相手に、県民一丸となって熱い思いで戦ってきたけれど、いま日本政府に「何とかしてくれ」と訴えても、歯痒い思いをすることも多いです。
翁長前知事については、「沖縄を愛する保守本流」を貫いた政治家であったという印象を持っていて、そこに下里恵良の影を見た気がするんです。

くーみー: 沖縄で起きてきたことを一言で伝えるのは難しいと、私もいつも感じています。
それを99分の映画の中に、コンパクトに収める工夫が様々にあったのではないかと思います。

山里監督: 僕はテレビの世界でずっと生きてきました。
テレビはチャンネルを回されたら、どんなに伝えたいことでも見てもらえない。終わってしまう。
視聴者を惹き付けて自分の伝えたいことをどう伝えられるかを30年考えてきたので、ある意味では「テレビテク」というか…(笑)。
飽きさせない工夫をありったけ詰め込んだつもりです。
楽しく面白く、なおかつ大事なものは相手の心に入れ込んでいくという、培ってきたノウハウが全部入った映画になっていると思います。

くーみー: ナビゲーターとしてうちな〜噺家の志ぃさーさんがいて、川平慈英さんがナレーターというふうに進行役がお二人いらっしゃって、話がわかりやすいしテンポも良かったです。

山里監督: 説明的なところは慈英さんのリズムに任せ、心情的なところは物語調にして志ぃさーさんに任せるという感じで役割分担していただきました。
そこもメリハリがきいて良かったんじゃないかと思います。

(©️沖縄テレビ放送)

くーみー: 山里監督、長時間お付き合いいただき有難うございました!

くーみー
くーみー
サンマ裁判の裏には、当時の沖縄が抱えていた様々な問題・人間模様が隠れています。
来年2022年5月15日は本土復帰50周年を迎えますから、その前にぜひご覧ください!
テンポが良く喜怒哀楽に満ちた面白い映画です!

番外編: 沖縄ではサンマをどうやって食べていた?

その当時、サンマがどのように食べられていたかを山里監督が教えてくださいました!

山里監督
山里監督
焼いて食べていたわけではなくて、衣を付けてフライのように揚げて食べていたらしいんですよ!

くーみー
くーみー
そうなんですか〜!
確かに沖縄の昔ながらの食文化では「焼く」という手法はあまり登場しませんね。

山里監督
山里監督
そうなんです。当時の食べ方をぜひ再現してみてください!

くーみー
くーみー
私の頭の中には厚い衣のうちなー天ぷらが浮かんでいます(笑)。
興味深いウラ情報を有難うございました!


▽公式HP
www.sanmademocracy.com

▽執筆協力
太秦株式会社