沖縄を知る

ちゅらさんにも出演していた憧れの人!藤木勇人さんにロングインタビュー

ハイサイ!藤木勇人と沖縄落語タイトル

今回は、沖縄と東京を拠点に全国で活動されている、うちなー噺家の志ぃさーこと藤木勇人さんに突撃インタビューを試みました。

うちなー噺家・志ぃさー としての活動や、藤木勇人さんが主宰する「かりゆし演芸まつり」のお話など、じっくり伺うことができましたので、ぜひご覧ください。

ちなみに、ヤマトンチュー(本土の人)のーりーが、藤木さんを初めて知るのは、大ヒットしたNHKの朝ドラ「ちゅらさん」。

ちょうど、2000年の沖縄サミットが開催された時に、スーパーマーケットの沖縄フェアの企画に携わり、出張だけでは飽き足らずプライベートでも沖縄に通うようになった頃で、「ちゅらさん」は毎日欠かさず見ていました。

その後、沖縄漬けになり、藤木さんが役者としてだけではなく、ちゅらさんの方言指導も担当されたこと。

コメディアン、随筆家、琉球文化研究者、そしてうちなー噺家としても活躍されるマルチタレントなのだと知ります。

沖縄のタレントさんの大御所であり、雲の上の人という認識でした。

そんな華やかな経歴の方と、まさか、こんな形でインタビューをしあえる(藤木さんのラジオ番組「ヤマトdeうちなータイム」で「沖縄と暮らす」を取材してもらいました。オンエアはこちらで聞けます)日が来るとは思ってもみませんでした!

それでは早速、ロングインタビューをスタート!!

独特の語り口調が伝わるように、お話しされていた言葉でお届けします。

マルチタレントの藤木勇人さんとファンとの沖縄的距離感

藤木勇人と桂春蝶とうちなーたいむ研究所メンバー
この写真は、年に1度定期開催されている「沖縄落語でちむどんどん(落語と沖縄料理を食す四海一家の会)~志ぃさー(藤木勇人)×桂春蝶~」にて
撮影したものです。桂春蝶さんのインタビューは掲載しておりませんのであらかじめご了承ください

のーりー:今日はウェブマガジン「沖縄と暮らす」として、藤木勇人さんことうちなー噺家の志ぃさーさんにいろいろインタビューさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします!

一同:よろしくお願いします!!

のーりー:まずは、と〜っても簡単に藤木勇人さんの略歴を紹介しますと、

1961年生まれ。20代は郵便局員として公務員のお勤めするかたわら、笑築過激団(しょうちくかげきだん)、

りんけんバンドに加入し、沖縄の人の生活、習慣、風土、沖縄の歴史などを伝える活動を開始しました。

30代で両団を退団して、その後は、沖縄ジァンジァンで、一人芝居「うちなー妄想見聞録」を公演。

2001年にNHKテレビ小説「ちゅらさん」に沖縄ことば指導を担当、沖縄料理展「ゆがふ」の店長役で出演。

2010年より現在は、ラジオ沖縄「ハイサイ!藤木勇人のヤマトde沖縄タイム」(毎週月曜よる8時から9時)を放映中。

2011年にはNHK BSプレミアム「テンペスト」多嘉良善蔵役で出演。

その他、映画にも多数出演。「かりゆし演芸まつり」や独演会の寄席も主催されています。

そんな、すごい経歴の藤木さんなんですが、あーゆーと藤木さんはもう長いお付き合いですよね。

藤木さん(以下、藤木):もう皆さんとはいつからかわからない位ですよね。玉城さん(くーみー)が一番新しいかな。

琴宮さん(あーゆー)とは、うちなーぐち のDVDを広めたいってあったのかな。

あーゆー:そうそう。多分、7、8年くらい前ですよね。

藤木:三島さん(のーりー)は、いつだっけ。「おきなわ食べる通信」を始めた頃かな。3年前?

のーりー:はい、2016年の8月に「おきなわ食べる通信」を始めたので、3年くらい前ですかね。

あーゆーに東京で読者を増やしたいと相談したら、東京在住のうちなーんちゅを紹介するよって言われて、

色々な方を紹介していただいている中で、藤木さんとも出会いました。

あーゆー:そうそう、江東沖縄県人会の会合に藤木さんがいらしていて、すぐに飲みに行こうよっていうことになって。

藤木さんと、「おきなわ食べる通信」東京編集長の唐木くん、副編集長ののーりー、私の4人で飲みにいったんですよね。

のーりー:はい。その後、沖縄食べる通信の取材もしていただいたり。

藤木勇人のヤマトde沖縄タイムチラシ
http://www.rokinawa.co.jp/program_21
藤木勇人のヤマトでうちなータイム取材おきなわ食べる通信

藤木:うんうん、そうでしたか。

のーりー:それにしても、この距離感!すごいですよね。

私の中では藤木勇人さんといえば、有名人という括りですので。

あのテレビの「ちゅらさん」に出演していた遠い世界の人だと思っていたのに。

いちファンの立場としては、「飲み行こうよ」みたいな距離感が、

気さくっていうか、魅力っていうか。びっくりしました!

藤木:いやいやそんな。

あーゆー:いつも思うんですけど、沖縄の芸人さんは距離感が近い!

私も、沖縄のお笑い芸人「しゃもじ」の追っかけをしていますけど、本当に距離感が短くって。

ライブを見にいっても、その後に一緒に飲めるとか。すごいなぁと思うんですよね。

藤木:間合いとか距離感とか言いますけど、多分だけど、あんまりそういう能力がないんですよ。

人がひしめいているところに、生きていなかったーさーね(笑)。

東京はこんなに狭いところに人がひしめいていて、距離感を保たないと変な噂が流れることもあるんだろうから。

調べてみると、沖縄県って東京の面積って同じくらいなんだけど、人口はだいたい東京の10分の1なんだよね。

のーりー:へぇ〜。

藤木:東京の10倍が日本の人口なわけ。

沖縄の100倍が、実は日本の人口。

だいたい、偶然そういうふうになってるんですよ。

だから何が言いたいかというと、沖縄は人と人の間に、ヤギがいたり豚がいたりするわけさ。

だから距離感とかあんまり考えなくて生きているから、自然に生きてるんですよ。

(東京みたいに人との距離感が)狭いところに生きても、

狭いなら狭いなりに、人間なら人間とも喋ってみるかと(笑)。

のーりー:あはは(笑)。

でも、沖縄県内では、距離は東京よりも遠いのかもしれないですけど、

知り合いと知り合いが近い感じがするんですよ。

藤木:超近い。沖縄は大体2人か3人介すると、ほぼ繋がっている。

実際はね、本土でも7人を介すと、確実につながるそうですよ。

のーりー:その7人というお話は、聞いたことがあります。

でも、2人と7人との差って、すごく大きいですよね(笑)。

藤木:大きい大きい。

沖縄のイチャリバチョーデー(一度出会ったら皆兄弟)っていうのは、まさにそういうことなのかなと思いますよ。

のーりー:なるほど〜。

「沖縄落語」への想いと、そこにたどり着くまでのこと

志ぃさーとして高座に立つ藤木氏。沖縄落語の人と言われたら僕の勝利という

のーりー:そんな有名人の藤木さんですが、テレビだけでなく、映画やラジオ、マルチに活躍されていますよね。

さらに、高座をお聞きして全然違う顔があるんだなって思いました。

藤木さんの中で、今後一番やりたいことというのはどの分野なんですか。

藤木:やはり、沖縄落語の人!って言われるようになりたいです。

「沖縄の落語家」って全国の人に認められたら、僕の勝利かなと思うんですが。

まだ認められてないから、地道にやってるって感じですよ。

のーりー:そうなんですね!

ところで、藤木さんの落語との出会いは、いつごろですか。

藤木:立川志の輔と出会った時だから、それはもうりんけんバンド時代です。30歳くらいの時。

立川志の輔が沖縄で落語をやったときだったからもう、29年、30年前だな(笑)。

くーみー:国際通りの牧志のあたりに、沖縄ジァンジァンがあった頃ですよね。

毎年来られていましたよね。

藤木:そうそう。まだ全然売れていいない頃だったから、毎年、年に2、3度来ていて。

毎回見に行ってました。

それで見ていたら、落語って素晴らしいなって思って。江戸の庶民の生活が生き生きと語られるんだよね。

貧乏人もいっぱいいるけど、たくわんをカマボコにしたつもりで食べて工夫して、水をお酒のつもりで飲んでさ、それで幸せみたいな話がある。その中に歴史もいろいろ語られるんだよね。

落語って、悪い人も出てくるんだけど、悪い人が最後は改心してみたいな。

のーりー:ちょっとお茶目な。

藤木:そうそう。庶民の話芸だからさ、威張っているお役人をおちょくってみたり、

ちょっとブラックな面もあってすごい面白いなって。

そのときに、沖縄の人ってなんで自分たちの歴史について、物語を知らないのかなって思ったわけよ。

のーりー:藤木さんは沖縄の歴史が好きだったんですか。

藤木:僕はどちらかというと、歴史が好きな方だったし、

りんけんバンドで東京デビューしたけど、元々は笑築過激団で演劇系だったわけですよ。お笑いの。

ブラックユーモアだったわけ。例えば「ファーストフードと沖縄の野菜たちが闘う戦争」とか。

のーりー:え、どちらが勝つんですか?

藤木:いやもちろん、沖縄の野菜が勝つわけですよ。

昔の映画で「野生の証明」っていうのがあって、それを文字って「野菜の証明」っていう。ゴーヤーとフーチバーとアロエとが一緒になって戦うわけよ。

くーみー:あれ?ゴーヤー親方の話ですか?

藤木:そうそう。そこから出てきたわけよ。ゴーヤー親方は。

そういうのをやっていて、当時まさか沖縄文化がこんなに見直されると当時は思ってなかったわけよ。

のーりー:当時はどんな感じだったのですか。

藤木:ファーストフード全盛期で、沖縄がこんなに持ち上げられるとも思ってなかった。

たまたま、笑築過激団でやっているときに、ウチナーヤマト口っていう沖縄方言の舞台をやったらね、受けるわけ。

みんな欲していたわけさ。

のーりー:観にきている人は、うちなんちゅーですよね?

藤木:そうそう。若者にも、すごいうけて。

沖縄には方言を喋っちゃいけない時代っていうのがあって、でもきれいな日本語も喋りきれない。

かと言って、ちゃんとした沖縄の方言も喋れないっていう、中途半端な沖縄の人が培養されていた時代があって。

あぁ、やっぱり。沖縄の人に響く言葉があるわけさ。

のーりー:今よりもわかりにくい?

藤木:もう少し濃いね。

すごくそれは受けたっていうことは、沖縄の潜在意識の中に、自分たちの島を愛する気持ちがあるんだなっていうのがわかって。ただ、お客さんの認識が戦後の文化からはじまってるわけ。

戦前とか琉球王朝時代の話とかが、見えないわけさ。

だから僕は、落語を通してそういう話をできたらいいなって思っているわけ。

志の輔師匠について、落語家になろうと思ったけど落語家にならずに。勝手に一人芝居をし、勝手に高座に座り、勝手に沖縄の噺(はなし)を作ってたら志の輔も認めてくれたっていう感じ。

のーりー:なるほど。でも、落語家を志したということは、江戸の落語も学ばれたんですか。

藤木:そうそう。落語家になるってことは江戸落語の勉強と、落語家の修行をしないといけないといういうことだし、

僕はもう30になっていたし。

でも、東京で公演した時には「じゅげむ」とか江戸落語もいくつかやりましたよ。

でも、江戸落語を思いきっり語るかっていうと。それは似非落語でしかないわけよ。

のーりー:それは、いわゆる大和口(標準語)でやるっていうことですよね。

藤木:そうそう、僕が江戸弁で「てやんでい、すっとこどっこい。」

「てめえみてえな野郎が」ってやるんだけど、どこかになまりが入ってたりしてさ。

師匠が、お前が落語やっても客が喜ぶわけではない。お前に金を払ってく観に来る客はいないって、師匠が。

当たり前だよ、僕は落語家じゃないから。

のーりー:でも、すごい迫力です!色々と勉強されたのですね。

でも、今となっては、江戸弁の藤木さんは、ちょっとしっくりこないかも(笑)。

全国の人が聞きたくなるような落語に!沖縄の話を。

のーりー:最近の活動は、もっぱら高座が中心なのですか。

藤木:最近は、テレビとかラジオのほかは、高座にしか座らなくなって。

でも、ちゃんと沖縄では受けていると思う。仕事があるから。

関東でも、僕のこういう話を聞いてくれる人がいる。こんなに沖縄がひろまるとおもわんさ。

そんな闘いをして、かれこれ20年になるんですよ。

その中でだんだんわかってきたことは、東京も、地方人の集まりだということ。

沖縄、沖縄ばっかり言っててもダメなんだ。っていうところにたどり着いた。

そうだよなぁ、「全国の人が聞きたくなるような沖縄の話ってなんだろう?」って、歴史とかを掘っていて。

沖縄ルーツの金城哲夫さんっていう人が、ウルトラマンの話を作ったんだとか。

その金城さんを題材にした「ウルトラ哲夫」の噺を埼玉でやったら、ウルトラセブンの中に入っていた人が来たんだよね。

のーりー:へぇ〜。

あ、うちの主人が青森出身で、青森の有名人といえば、ウルトラマンをデザインした成田亨さんなんです。

その主人に、藤木さんがウルトラ哲夫の話をするけど行く?って言ったら、行きたいって言って。

とっても面白かったようです。

藤木:それよ!

去年つくった、葛飾北斎が琉球八景を書いた「葛飾北斎 琉球八景外伝」とか。

そういう、東京の人が聞いても、沖縄の話だけど、これだったら俺たちが聞いても楽しいなっていう話を、最近は作るようになってきた。

あーゆー:北斎のお話はずっと続けて欲しいです!!

大好きで、もっとパワーアップして行って欲しいです。

藤木:そうそう。もう全然続けたい。

だから全国の人が聞いて、面白いって思って納得してもらえる落語をやろうって。

そういうものがだいぶ形になってきてはいるかなっていう。

人の営みは世界共通!だから、落語は面白い

落語「時そば」を、基地の近くの沖縄そば屋にアレンジした「ドルそば」を熱演する藤木氏

くーみー:藤木さんが高座を2つくらいやると、前半は少しカジュアルな短めのうちなー大和ぐち 。後半というか本編は、琉球歴史の話だったり。

藤木:そうそう大ネタって言うんですけどね、40分から1時間くらい。

くーみー:藤木さん的には、その琉球王朝だったり歴史みたいな大ネタをメインにしたいと言うことですか。

藤木:いえいえ。軽いものも好きですよ。落語がいいところは、すごい芸で一人で全部やるもんだから。宇宙にも魔界にも行く。幽霊話もあれば、庶民の話もあって。なんでもあり。

短い話も好きだし、歴史ももの好きだし。

長く語るなら歴史の話もいい。

逆に、沖縄を楽しく伝える話も必要だなって思って作るわけですね。

あーゆー:普通の落語を沖縄を舞台に変換したものもありますよね。

私、大好きです。

「時そば」の日本そばを、沖縄そばにした「ドルそば」とか(笑)。

藤木:ああ、「時そば」を「ドルそば」にしたらね、志の輔も何も言わないよ(笑)。

志の輔は何も言わないけど、お前よくそんな話考えたなってって言う感じ。

10セントの沖縄そばの勘定をドルでやるんです。

米軍統治下の時に、俺は基地の街で生まれたから英語がペラペラだから。

ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、おじさん今何時?

(おじさん)「えーっと。」

ナイン、テン。

って、1セントごまかすって言う話なんだけど(笑)。いくらでも作れるんですよ。

軽い系は何がおこるかっていうと、世界共通なんですよ、人間の営みは。

軽い内容だとね、ほとんどね世界のどこでもそのストーリーが当てはまるわけ。

お金ごまかすんでもなんでも、いるわけでしょうそういう人は。それに言葉の遊びを混ぜていけばいい。

でもね、最後のオチは、その土地土地で文化が違うから(笑)。

沖縄だからちょっと変わって来るとか。

あーゆー:芝浜とかもハマりますよね。どこにでもいますよね。どうしようもない親父って。

舞台のすぐそばに住んでいて、よく談志さんが近くで飲んでいてその話ができたとか。

藤木:芝浜も作ったよ。糸満の西崎の浜にして作ったよ。

酔っ払ってさ、仕事に行きたくないけど、かーちゃんに怒られて仕事に行くと。

西崎の浜で、なまこを見つける。あれなまこじゃないなって。

拾った中にお金が入ってるみたいな。

あーゆー:確かに世界共通かも。海じゃなくても山でもできるわけですものね。

藤木:そうなんですよ、だから落語っていうのはよくできてるわけ。

元々の古典落語を沖縄にアレンジしてみたり、創作も作ったりするんですよ。

それで沖縄の人たちが、うちなーんちゅとしてのアイデンティティにどこかで目覚めてくれれば。

何かの時に、それが乗り越えられる力になるんじゃないかって。

先生は教えてくれなかった、沖縄の偉人の濃すぎるキャラクター

名護市公認キャラクター「なぐうぇーかた」(和❤︎伝え 届け お披露め隊より提供)

くーみー:アイデンティティーといえば、沖縄の偉人の話にしても、

藤木さんの琉球歴史のお話では、

その元々のキャラクターがありながら面白おかしく話してくれるので、

スーッと心に入っていくんですよね。

沖縄だと、学校の教科書とかで偉人についてはなんらか学んだり、

ゆかりの地に遠足で行ったりするじゃないですか。

でも、なんとなーくさらーっと通り過ぎて、大人になってしまった気がするんですよ。

そういえば、名護親方とか程順則(ていじゅんそく)とか聞いたことがあったなぁくらいで。

それが、藤木さんの落語を聞いたら、なるほど!ってすごく自分で納得できるんですよ。

のーりー:ものすごくキャラを強調してますものね。

ものすごく頭がいいとか、体が大きくて腕っ節が強いとか、すごく想像しやすいです。

藤木:そうそう。

名護親方には、「程順則」っていう、中国名もあって。

「てい」は方程式の「程」、「じゅん」は順番の「順」、「そく」は規則の「則」。

「方程式を順番よく規則正しく使う人」って、もうどんな人かわかるでしょ(笑)。

うわーもう頭のいい、学者ってことですよと、すぐわかるじゃないですか。

のーりー:うんうん(笑)。

学校の先生からも、そうやって教えてもらったら、すんなり入ったのに(笑)。

くーみー:ほんとですよ(笑)。

うちなーんちゅにとっては、「改めてなぞる」だし。

多分、県外の方が初めて聞いても、

「そんな濃いキャラの人がいたのか」って、わかりやすかったりするんだと思います。

いろいろな意味で入りやすいと思いました。

藤木:沖縄の人も、知らないといけないことがもっとあるわけですよ。結構、知らないよね。

だから、名護親方が程順則とかね。

あーゆー:もうテレビで解説とかやって欲しいですよ。琉球歴史のね、池上彰さんみたいに〜!

藤木:あはは。大変かもしれんけど(笑)。

例えば、名護親方が、「六諭衍義(りくゆえんぎ)」っていう本を清国からから持ってきて、

素晴らしい本だっていうことで、琉球で重んじられたんです。

それを、江戸の八代将軍の徳川吉宗が見て感動して、寺子屋にひろめるわけさぁね。

それが、最終的に、敎育勅語まで影響を与えたっていうから、歴史はさつながっているわけさ、琉球時代からさ。

ところが戦争があったもんだから、消えてしまって。

沖縄って日本じゃないよなとか普通に言われる。

だけど、江戸時代に琉球からどんだけいろいろなことを仕入れているのかっていうことも含めて、

沖縄の人たちのプライドになるような話も山ほどあるし。

のーりー:確かに、すごいことですね。

これから作るお話は、沖縄だけではなく他の地域も含めて、

誰が聞いても受け入れられる面白い話に特化していかれるのですか。

藤木:そういうことは意識しています。

結構僕の中には、沖縄の歴史や文化の情報が入っているわけ。

江戸落語もねすごくいろいろな情報が入っているわけ。

みんな江戸の情報は、知っているわけ。時代劇テレビで視てるから。

大岡越前とか銭形平次もテレビで見ていて、みんな知らないはずの江戸のことをよく知っているんですよ。

だから、志の輔師匠が落語をやっていてもさ、沖縄でもみんなすぐにわかるわけですよ。

ところが、沖縄の落語をやっても沖縄を知らないからみんなが「勉強になった」と言ってくる。

だけど、それは自分も聞いている人たちもまだまだで、

話自体はたくさんあるので、知れば知るほど楽しく自然に身につけばよいと思う。

「沖縄」の魅力を東京へ、全国へ。

藤木:そういうことですかね、そんな感じで、今は沖縄の落語を一生懸命やっていて。

沖縄の人って、本当に歌って踊る県民なんですよ。

よくいいよったけど、そんなことないよ。全国の人も歌って踊るよと思ったけど。

りんけんバンドで全国回って、沖縄の人は本当によく歌って踊るっていうことがわかった。

そして、りんけんバンドは全国の人に、歌って踊る楽しさを広げたとも思ってるよ。

だけど沖縄の人って、あんまり語らないわけさ。

僕は、志の輔師匠をお世話して、20数年沖縄で落語をやってもらって。

ずっと師匠の落語を沖縄の人に聞かせているうちに、

落語も面白い、物語も面白いってわかってもらえるようになって。

沖縄で落語をやる人もいっぱい出てきたし、沖縄で落語も聞けるようになって。

その中で、沖縄落語があってもおかしくないと思っているし。

実際は物語もたくさんある。

話題性のある物語。

東京の劇団で、沖縄ネタの演劇をやってるところも多い。沖縄の映画も作られる。

沖縄の小説を書いている人だって、いっぱいいる。

沖縄を題材にした「宝島」という本が賞を取ったりね。

沖縄題材って物語になりやすいものがいっぱいあるんですよ。

芸能もあるだろうし、歴史だったり、料理だったり、あらゆるものが題材になりやすくて、

僕もそういうものを盛り込みながら、僕は話芸を通してそれを形にしていきたいと思っている。

のーりー:お弟子さんはとらないんですか。

藤木:弟子いないんだよ(笑)。そのうち誰か来てくれれればいいんだけど。

いつも誰もやらないことをやっている。

のーりー:新しすぎる!

藤木:やっていることがもっと花開いてくれると嬉しいけど、なかなか花は開かんわけよ。

ただ、生きていけてるし。家族も食べさせているし。誰か、殺したらいかんなと思ってる人がいる。

生かされていると思うわけさ。

くーみー:笑築だったり、りんけんバンドだったり、ずっと表現することを続けていらっしゃると思うんですけど。

その中でフィットしたのが落語なんですか。

藤木:最終的にもうこれ以上変化しようがない。そろそろ年だしね。

若い頃は何でもできると思ってるしさ、時間もあったし。

りんけんバンドも笑築過激団も売れていたわけじゃなかったしね。

逆に、公務員してたほうがずっと安定していたのに、それも辞めてしまってね。

ミュージシャンなわけじゃないから、りんけんバンドも抜けてしまったけど。

でも、笑築過激団からも、りんけんバンドからも、習ったことは大きかったわけよ。

どちらも全部沖縄の方言で。

りんけんバンドも、「あっり、あっり、ありがとう♪」これだけ日本語。

それ以外は、全部沖縄の言葉で。

だから、これからも僕は、沖縄の言葉を交えて話を聞いてもらいたいと思っている。

沖縄と暮らす一同:うんうん。

藤木:僕はね、琉球に来たことのない北斎に、絵を描かせた琉球ってすごいと思うんだよね。

北斎も描いたら意味があると思ったから描いたと思うわけ。単純にお金が儲かるとかそういうことだったのかもしれないけど、それでも。

その当時、琉球が江戸でどれくらい影響力を与えていたかっていう証明にもなるさ。

のーりー:でも、沖縄に行ったことがないのに書くなんて!実際に連れてくればよかったと思いますけどね(笑)。

あーゆー:いやもう晩年だから、70とかすぎていて無理だったんじゃないの(笑)。

藤木:そうかもね(笑)。でも、そういう話がもっと広がるといいと思うんですよ。

もっと縁深く、本土とつながるといいなと思ってる。

沖縄だけが外国みたいなイメージだったと思うけど、そんなことでも絶対ないと思っているし。

のーりー:藤木さんは、東京と沖縄を行ったり来たりしていると思うんですが、

両者をシャッフルしたいと思っていらっしゃるんですか。

藤木:沖縄で琉球落語を根付かせるためには、やっぱり東京の力も借りないといけないかとも思っているしね。

東京の落語家の方が、沖縄で噺をしたいといえば沖縄でやってもらう機会も作りたいし。

沖縄で話芸協会を作るという話もあるしね。

実際、僕も東京で結構お話しさせてもらっているし。それなりに人が入る。人口がまず違うから。

のーりー:ヤギとかとかじゃなくて。人が多いですものね(笑)。

藤木:東京で、昼夜やっても、100名くらいの席がだいたい満席になる。

のーりー:そうですよね。いつも満席で。チケット争奪戦です!

復帰20周年とともに始まった「かりゆし演芸まつり」が終わる!?

2020年2月に行われた「かりゆし演芸祭り」のフライヤー

のーりー:かりゆし演芸まつりも満席状態となっていますが、いつから始まったんですか。

藤木:かりゆし演芸祭りはもうさ13年くらいやってる。最初はB Xホールで年2回昼夜2階やっていた。白山にある文化シャッターの本社の中にあった。

なんでやっていたかというと、沖縄の目立つタイミングは復帰20周年、30周年、40周年。これがメジャーなタイミングで。戦後っていうマイナーなタイミングで、東京のメディアが取り上げて話題になる。

のーりー:では復帰に合わせてやっていたわけですか。

藤木:そう。復帰20周年のタイミングで、N H Kの「琉球の風」が放映されて。

そのタイミングあたりで、りんけんバンドが流行った。

その次は、りんけんバンドはやめていたんだけど。

メロディーはわかるかもしれないけれど、全部うちなーぐち で歌詞の意味が全然わからないのに、なんでりんけんバンドが全国売れるんだろうって思いながら。

復帰30周年の時にも何かあるかもしれない、と思って一人芝居をしたりしていた。

そして、復帰30周年のタイミングで「ちゅらさん」が大ヒットした。

のーりー:そのブームにのせて、かりゆし演芸祭りもはじめたのですか。

藤木:そう。少し後だけどね。

かりゆし演芸祭りは、もう今年で終わるかもしれない・・・。

もう終わると思ったら、こんなこと(前売り券が完売状態で宣伝ができない)になってしまって。もうどうしたらいいんだろうって。

のーりー:いやいや、国際フォーラムで!

藤木:いやいやいや笑。僕はあんまりうまくないんだよね。みんながウィンウィンにならないんだよね。

例えば、出演者もいいギャラもらえました。僕は事務局としていくばくかもらって、それが世の中にも広がってとなればいいんだけど。なかなかそうはならない。それは、あんまり僕にその能力がないわけ。

スポンサーを回った時期もあったんだけど、ちゃんと取れたんだけど、いかんせん時間が取れない。

あーゆー:どなたかと組まないんですか?

藤木:そうねぇ。従業員を雇うまでもいかないしね。なんか、これを直接商売にするというのもなぁと。

箱の問題や、音響や照明、芸人さんの事務所との問題や色々とクリアしたいんだけど、僕一人でやるには限界があるかなぁと。

のーりー:藤木さんの知り合いに声をかけたらチケットが売れちゃうとか。もったいない気もします。

藤木:そういう意味では、僕の知り合いに声をかけたらいっぱいになっちゃう。っていうのもある(笑)。

のーりー:もったいないですよー!!なんか私たちだけで楽しんでいるみたいで申し訳ない感じ。クオリティ高いですからね!

くーみー:私たちは見てるから、絶対見たほうがいいし面白いと思うんだけど。

藤木:そう、なんか(壁が)あるんだよね。

うん、そういう意味ではキャンキャンも、しゃもじもあれだけ面白いのに。もっと売れてもいいと思う。

ガレッジセールも中堅という感じだし。

もっと沖縄のお笑いが広がるといいと思うんだけど、なかなかうまくいっていない。

まだまだ知恵がたりないのかなぁ・・・

でも、ラジオをやっててよかったと思うのは、人を紹介する番組で、ラジオでインタビューするゲストを探さないといけないし、そうやっているうちに、どんどん広がりがあるわけ。

一方でかりゆし演芸祭りは、音楽の方面とかでは仕事が増えて感謝しているとか言われるんだけど、

お笑いはどうも広がらないんだよね。

あーゆー:でも、これだけ人が入るようになったのだし、

藤木さん一人でやるのは大変なので、私たちに手伝えることがあれば何かやりますよ!

チケットのデザインとか印刷、販売管理とかならお手伝いできますよ!

藤木:え、本当に。あなたたちが手伝ってくれるなら、続けようかな(笑)。

沖縄と暮らす一同:ぜひ!ぜひ!(笑)

こんななごやかな雰囲気でのロングインタビューとなりました。

藤木さんの知識があまりにも豊富で、私たちの好奇心が刺激しまくられた結果、話はあちこち脱線してしまい…。

この3倍くらいのお話をさせていただきました(笑)ので、

ロングインタビュー・アネックスとして、こぼれ話も掲載予定です。

20代から還暦を目前にした今もずっと、沖縄一色の芸を貫いて第一線で活躍し続けていらっしゃる藤木さんですが、

その気持ちは、常に「沖縄のために」、「沖縄の人のために」、沖縄のアイデンティティを再発見してそれを力にできるような何かを。沖縄県外の人も「沖縄を通して自分のアイデンティティを見つめる機会に」そんな思いで表現を続けていらっしゃるあつい思いがひしひしと感じられました。

まさか、かりゆし演芸祭りの終わりを考えていたなんて、

びっくりしてしまいましたが(汗)。

でも、私たちが少しでもお手伝いすることで存続していけるなら、喜んで!という運びに。

藤木さんとお話をしているうちに改めて感じたのは、

芸人さんとファンが一緒に、沖縄(=日本)というキーワードでつながって

その場を作り上げているのだなぁということ。

藤木勇人ファンの皆さま、沖縄のお笑いファンの皆さま、

かりゆし演芸祭りファンの皆さま、

そして、沖縄出身じゃないけれど、沖縄を通して自分のアイデンティティを感じたい方!

これからも一緒に沖縄のお笑いを盛り上げて行きませんか。

一緒にお手伝いしてくださる方も、大歓迎!!

報酬は、出演者の皆さんと一緒に打ち上げに参加できること!

というのはお約束できます(笑)ので、ぜひお声がけください。

2020年「かりゆし演芸祭り」の打ち上げに参加させてもらった沖縄と暮らすメンバーさっきまで舞台で熱演されていた芸人さん達と同じ空間で飲める幸せ!

ファンの一人として、これからも藤木勇人さんと志ぃさーさんを応援したいと思います!!

最後まで読んでくださりありがとうございます!

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藤木勇人こと志ぃさーさんの落語の世界を覗いてみたい方は、ぜひこちらから。ライブで見たくなること、間違いなしですヨ!