沖縄を知る

藤木勇人さんとゆんたく:首里城焼失とうちなーんちゅーのアイデンティティ

首里公園城守礼門 藤木勇人とユンタク

先日公開した「ちゅらさんにも出演していた憧れの人!藤木勇人さんにロングインタビュー」では、「沖縄落語」や毎年高円寺で開催されている「かりゆし演芸まつり」の話をたっぷりと伺いましたが、今回は、その取材の時のゆんたく(おしゃべり)をご紹介します♪

当日の取材は、沖縄家庭料理教室を開催しているくーみー宅で、ランチをいただきながらというスタイル。メニューは、くーみーお手製の、軟骨ソーキ入り沖縄風おでん!

軟骨ソーキ入り沖縄風おでん
くーみー作 軟骨ソーキ入り沖縄風おでん!


おでんの具は、結び昆布、アーサのかまぼこ、島人参、軟骨ソーキ(下茹でするとぷるぷるになる軟骨がついた豚のあばら肉)を上品なおでんだしでコトコト2時間(ソーキの下茹でからは8時間)に煮込んだのだとか。沖縄風なので、だしもきりりと効いています。具材の中までしっかりと味が染み込んで、えも言えぬおいしさ。
さらに、オリオンビールもプシュッとしてしまったので、藤木さんの舌が滑らかに(笑)。

藤木勇人と玉城久美子
とあるひのくーみーと藤木さんのツーショット!

お話に引き込まれるうちに、ついついインタビューから脱線してしまい(汗)、「沖縄から見た日本」、「東京から見た沖縄」、「復帰50周年に向けて」、「シーサーの置物で個人情報流出!?」などなど、さすが噺家、会話の引き出しの数も量がものすごい!
掲載しきれなかった藤木さんのうちなートークを、テーマ別にご紹介していこうと思います。もちろん、沖縄についてのお話が満載ですよ。

第1弾は、時期的にも思い出さずにはいられない、2019年10月31日に焼失してしまった「首里城とうちなーんちゅのアイデンティティ」についてを公開します!

※このインタビューは、新型コロナウィルスの感染の影響から東京オリンピック・パラリンピックの1年程度の延期が決定した3月24日以前に行ったものです。現在の情報と前後する内容がございます。あらかじめご了承ください。

首里城って何だったんだ!?ぜひ、ボクに語らせてください。

焼失前の首里城正殿
焼失前の首里城正殿。首里城公園として1992年に再建された。2019年10月31日の火災で焼失

藤木勇人氏(以下、藤木):ちょっと大きな話になるんですけれど。

去年、首里城が、焼けてしまったじゃないですか。

首里城がどういう意味があったのかというと、あれは建って何十年でしたっけ。

あーゆー・のーりー:30年ですね。

藤木:そう、30年。
30歳の人たちにとっては、首里城は立ってて当たり前だったわけですよ。

でも、30年前に、首里城を建てるぞーって、みんなで頑張って、誰かが一生懸命建てたわけじゃないですか。
それが自分たちの心の支えになっていた人もいたわけ。沖縄のシンボルでもあった。

その首里城が焼けた瞬間に、「こんなに心の支えになっていたんだ」と。

あれ、「前から立っていたんじゃないの?」って思った人もいた。

そうすると、「首里城ってなんだったんだ」とか、「なんでシンボルになってたんだろう」とか。

琉球の歴史を自分で掘ってみたりとか、色々するわけさ。

だからね、次に建つ首里城は、もっとみんなに愛されるようになるんですよ。
だって世界からも、本土からも、すごい寄付をもらった。

ということは、沖縄の人がもっと首里城に対してとか、琉球に対しての思い入れを、アイデンティティを見つめ直す機会を、深めていかないといけないという時代が来るわけですよ。

その時のボクの話は、重要だろうなぁ(笑)。

あーゆー・のーりー:(爆笑)そうですね、これからですね〜!!!(笑)

藤木:首里城は何だったっていう時に、誰か語れる奴はいないのか。
ちょっと妙な話だけど、語る奴がいるよ。志ぃさーっていうのがいるよって(笑)。

くーみー:それはそう思います!!

1964年の東京オリンピックの聖火スタート地点は、沖縄県の首里城だった

焼失前の奉神門
焼失前の奉神門。2019年10月31日の火災で門の北側(向かって左)3分の1が焼失。(時事通信ドットコム首里城の見取り図と焼失エリア(2019年11月)より)

のーりー:そういえば、(延期が予定されている)2020年のオリンピックの聖火ランナーで、沖縄は首里城からスタートだと、藤木さんが話されていた気がするのですが・・・。藤木さんも走られるんですよね!

藤木:そうそう。
あれも自分で申し込んで、選ばれたということを。

ぜひ、語る事でアピールしたい(笑)。

のーりー:ご自身で申し込まれたとは、びっくりです!!
藤木さんは、どこを走るかは決まっているんですか?

藤木:まだ決まっていないです。(予定では)5月2日に走る(ことになっていました)。
本土のスタート地点は、復興オリンピックということで、3.11に大震災が起こった福島県から始めるということになって(いました)。
1969年の東京オリンピックの聖火ランナーが一番最初に走った場所が沖縄だった、ということもあまり知られていないんですよ。

のーりー:そうでしたか!

藤木:沖縄に米軍基地がある事で開催が危ぶまれていたけれど、アメリカが「お祝いだから良い」と言って。またその事が、本土復帰への一石となった。それも、沖縄のことを知るネタになると思う。
そういうことは聞いて初めて知って納得するから、語れる人がいるというのは重要。走ったことも含めて。

だから、2020の東京オリンピックの沖縄県のスタートは、首里城と決まっていた。
この前、首里城が焼けてしまったということもあって、一時は違うところから始めるのではないかと言われていた。
けれど、逆に自分は「ここはあえて首里城から走り始める事で、復興に対しての日本の意識が高まるのではないか」と思うんですよね。

あーゆー:その方が良いと思います。みんなの心に焼きつくはずですから。
ここまでなってしまったのに、また再建されるんだって。
周りの人たちも頑張っていることを理解して、もっと応援くれると思います。

藤木:そうそうそう。首里城が焼けたから、観光地としてはダメだねっていうのは、違う。
逆に、観に行こうよ。今だけ「焼けた首里城」を見ることができるから行った方が良いと思う。
修学旅行生にも、見せる方が良い。

「なぜこれが建っているのか」「なぜ焼けたら世界的ニュースになったのか」なども含めて学生たちに話をすれば、
自分たちが何をみたのかがわかるさぁ。
今まで首里城を見ていた人なら、素通りしていたと思う。

くーみー:そうですね。首里城は私が中学生の時に建ったので、それまではなかったから。
焼けてなくなった時に初めて「すごく大きな存在」だったんだと、改めて実感しました。

のーりー:映像でも、燃え上がる首里城を見てしまって。
お城が焼けると、どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろうって。
城が焼け落ちるって、テレビとか映画の時代劇とかでしか見たことがなかったので、やはりリアリティが…辛かったです。

藤木:あれだけのものがね…。なかなかあそこまできれいに焼けないよね・・・。

おまけ:江戸時代、お城もしょっちゅう焼けていた!?切符がいい江戸っ子と火事

あーゆー:歴史の本を読んでいたら、江戸時代は特に火事が多くて、木造だし現代のように給水ポンプとかもないので。
今、重要文化財になっているようなお城でもしょっちゅう焼けていたって。

藤木:木造だからね。どのお城も、ほぼ再建。

でもね、江戸っ子のすごいところはさ。火事になって、どんどん火が広がってくるじゃないですか。
その火を止めるためにかっていうと、まといよしの連中が。

「(落語風に)悪いけど、これ以上置いとくと、ここに火が渡るんで、お前の家を壊すぜいっ。」

って、言うって。

そうすると家の主も、

「よし、やってくれいっ。」

って言うんだって。

それで、江戸っ子はみんなで、プライドを持って壊す!

くーみー:江戸っ子!!

藤木:そう、コレが江戸っ子。すごいよ。

バンバン壊す。暗い表情も、全くしないんだって。

それをさ、外国人が見て、びっくりする。

「何だ!この人たちは、お家を壊して、やってくれって。何なんだ!」って。

くーみー:止めたぜ。みたいな(笑)。

のーりー:俺が、止めた。みたいな(笑)。

藤木:そうそう、江戸っ子たちはそういう風に生きるように、ちゃんと教育をされていたんだって。

だからあんまり家財道具も持たない。いつ火事がくるか分からないから。
宵越しの金を持たないって言うのも、そう言うことらしくて。

その代わり、家が焼けても翌日から普通に商売をするし、
食べ物がなければ、近所の人が普通に炊き出しをしてくれて、そういう風に生活できるようになっていたんだって。
だから、とっても切符がいいわけよ。

うちなーたいむ研究所一同:なるほど〜!!!あ、でもまた、脱線しちゃいましたね(笑)。

―――

という感じで、藤木さんの話が楽しすぎて、気付けばあっという間に2時間ほど・・・。

それでも、藤木さんの「首里城って何だったんだ?」という話を、もっと聞きたいと思ったり。

「なぜ首里城が建っているのか」「なぜ焼けたら世界的ニュースになったのか」、これをきっかけに、首里城の歴史を通して見る沖縄、日本、自分というアイデンティティについて、

うちなーんちゅだけでなく、沖縄好きの私たちももっと学ばなければいけないと思えた時間でした。

「世界からも、本土からも愛される、新しい首里城」の再建も、今から待ち通しいですね。

ということで、藤木勇人さんとの楽しいゆんたく、いかがでしたでしょうか。


まだまだ楽しいお話がありますので、またご紹介させていただきます!
ぜひ、お楽しみに♪